生きるということ
生きるということは、
人生ってなんだ?
何のために生きているのか
わからないわからない
昨日、最愛の犬が死んだ
病気で苦しんで、もがきながら死んだ
獣医にも二ヶ所かかったが、全くの役立たずだった。
あいつらは何のために獣医やってるんだろう
金が欲しいから、命を扱わないで欲しい
リードにつながれた、狭い世界で、
退屈そうにしていた。いつも
時間があれば、散歩に行ったり遊んだり、
でも時間があまりなかった、仕事仕事仕事
いつも退屈そうだった
楽しいこともあまり知らないで、もがきながら死んでいく思いはどうだったんだろう
やっぱり恨むんだろうか
こんな家に、命を握されたことを
生まれたときからかわいそうだった
母親に噛まれて顔面に大怪我していた
それから、警戒心が強くなったみたいだ
ウチが引き取ってから、愛情を注いだつもりだが、最後まで警戒は解けなかった。
一度、しっぽを思い切り踏まれた。
とても痛かったようで、叫んで、犬小屋に入って2、3日出てこなかった。
死因となった病気で、1年前にも生死の境をさまよった
獣医という名の人間のゴミには大金を払ったが、大した治療もしてくれず、死ぬのを待つだけだと言われた
そういう心構えでしばらく過ごした。
本人の、本犬の体調は一目見ればわかるほどにはすこぶる悪く、そうなるだろうとしか思えなかった。
だが、少しずつ少しずつ快方に向かっていった。ある時家に帰ると、グッタリしていた様子だったのが、ちゃんと座っていて驚いたことを思い出す。
本人の生きたいという思いにほかならないと思った。奇跡だと思った
回復してからは、これまでのように普通に過ごした。まるで病気なんてないかのように過ごした。
でも、僕は気にかけた。もうあまり長くないのは間違いないと思った。だから、病床に臥す前よりもっと散歩に行ったし、もっと触った。
それでも人間は仕事をした。
体調が悪くなった日は休みだった。
目が見えなくなったようで、耳があまり聞こえないようで、鼻が、
もがいていた。奇行をしていた。
一日中看病した。もう無理かもしれないとは思ったが、奇跡はあった。
最後まで、少しは奇跡を信じた。
夜になった。相変わらずもがいている。
次の日は仕事だった。
少し落ち着いたところで、
夜、眠たくて寝てしまった。
起きた時にはもう、天国に行っていた。
最期は家族が看取ってくれた。
火葬場に、行きたかったが、その日も仕事だった。休めなくはないのだろうが、休めなかった。
家族に火葬場へ連れていってもらい、彼は旅立った。
次の世界は、リードにつながれず、人間同士が勝手に決めたくだらない縄張りがなく、退屈することなく、広い世界を自由に闊歩していると信じている。
最愛の、生き物の最期も看取れずに働く理由は何だろう。何のために働いているのだろう。
同時に、自分の薄情さも痛感した。
僕はゴミだ。